一ノ宮真紀の家宅捜査から三日後、五十鈴川が署に顔を出した。
「すずさん、青木さんからいい情報は得られました?」
「ああ、事件解決への糸口になりそうな話が聞けたよ」
「本当ですか!実はこっちの調査結果も聞いて欲しかったところなんです」
「よし、じゃあコーヒー1杯飲んだあとで、捜査の進捗を確認するか」
そう言いながら五十鈴川は、手提げの紙袋を差し出した。
「これ、みんなで分けてくれ」
「……これって、どら焼き……ハマったんですか……すずさん」
三日前
「どら焼きなんか買って、どこ行くんですか、すずさん」
「青木さんのところだ」
「青木さん……?」
「交通安全協会」
早見が次の言葉を発するまでに時間はかからなかった。
「あっ、すずさんの元上司で駐車場の人」
「そうだ、あの青木さんだ」
「その青木さんに何で会いに行くんですか」
「青木さんは……」
五十鈴川は、何か言いかけたが口を塞ぎ、取り敢えず早見に『一ノ宮真紀』の捜索は頼んだと言って、署を出て行った。
本署から東へ向かい、琵琶湖を見下ろせる中山間部に青木の自宅はあった。
車を降り、空をなんとなく見上げた五十鈴川に近づく男。
「おお、五十鈴川、早かったなぁ」
「どうも、突然申し訳ありません」
「なんや、相変わらず、よそよそしいな」
首にタオルを巻き、くたびれた麦わらに長靴を履いた男が、青木だった。
温厚そうな表情を浮かべ、元警察関係者とは程遠いその様相に、彼から事件の糸口を掴もうとしている五十鈴川自身、少々あっけに取られてしまった。
「まあ、お茶でも飲んでゆっくりしていきぃな。何が聞きたいのか知らんけど、お手柔らかに頼むわ」
五十鈴川は苦笑いしながら、青木の家に入っていったーー
「単刀直入に聞きます」
どら焼きを口に入れかけた青木に五十鈴川の鋭い眼差しが刺さる。
「おいおい、藪から棒やな、不器用なおまえが買ってきた、どら焼きが泣いとるで」
「すみません。不器用なもので」
「何じゃ、そりゃ」
そう言うと青木は笑みを浮かべ、お目当てのモノを口にした。
そして、その味について少し呟いたかと思ったが、次の言葉はこうだった。
「大島一郎……か」
五十鈴川は軽く頷きながらも、青木に見透かされている様で釈然としない顔をした。
そんな五十鈴川を見て見ぬふりをして、青木は続ける。
「現役のおまえがワシのところへ来る。しかも、手土産までぶら下げて。と、なるとやな、勘の鈍いワシでも察しが付くっちゅうこっちゃ」
「いや、勘弁してくださいよ」
五十鈴川が頭を掻きながら、続ける。
「今捜査中の事件に彼が関わっていそうなんですが、真っ向から任意で事情聴取というわけにもいかず、どうにも……」
青木の表情を伺いながら、少し冷めてしまったお茶を啜る。
「大島が関わっとるっちゅうんやったら、そう簡単に尻尾は出さんな」
「ええ、それは十分わかっています。ただ、あの事件の真相も同時に暴けるかもしれないんです」
青木は口を半開きにして、しばし天井を見上げ、五十鈴川に向き直った。
「あの事件、解決できそうか……」
「……刑事の勘です」
「フン、そら誰の受け売りや」
青木は少し嬉しそうな表情を浮かべ、わかったと言わんばかりに奥の部屋へ入っていった。
五十鈴川が通された客間には、まだ夏の装いを残した扇風機が置いてあり、見ると電源コードも差し込まれたままだった。
青木良造(あおき りょうぞう)は5年前に妻を亡くした後、一人でこの家を守っている。警察時代の仕事ぶりは頑固な一面もあり、ちょくちょく上役と揉めていた。反面、後輩の面倒見は良く、五十鈴川もその内の一人だった。
五十鈴川が刑事に成り立てのころ、担当していた事件に行き詰まった事があった。
「勘や、刑事の勘。これを大事にするんや。あっ、でもな、推理小説や映画みたいに華麗に事件を解決するなんて思ったらあかんで。地道に頭の中で順序立てて考える、その繰り返しの恩恵が勘やとワシは思っとる。そう奇跡は起こらん、泥臭いもんやで」
そんな事を青木に言われて、当時はそんなうまい話があるかよと思っていたが、何となく意味がわかってきたのが最近なんじゃないかと、五十鈴川が鼻で笑ったところに青木が戻ってきた。
「なんや、おもろい事でもあったんか?」
「いえ、……」
「変なやっちゃのう。まあ、ええけどな」
そう言いながら、青木はA4サイズにまとめられたファイルを五十鈴川に渡すと
「それがワシの知っている、大島一郎の全てや。ええ加減、燃やそうと思ってたんやけど、ちょうどええわ、お前にやる」
「いいんですか」
「いいんですかやないやろ。これを貰いに来たようなもんやろ、ワシがそれを持っていても何もできひんからな」
「ありがとうございます。必ず、事件、解決します」
「まあ、そんな力むな、勘が鈍るで」
五十鈴川は、頭を掻きながら言った。
「どら焼き、いただきます」
「……おまえが買うてきたんやんけ」
『大島一郎 収賄疑惑』
表紙に大きく書かれたファイルは5冊を数えた。