一ノ宮真紀が失踪したことを受けて、五十鈴川たちは、重要人物をまた一人失った。行方を追うのと並行して、あの写真が合成かどうかを鑑識に委ねた。
令状を取り、一ノ宮真紀の自宅に向かう捜査車両の二人。
「すずさん、現場に残っていた足跡なんですけど……」
「一ノ宮真紀って、言いたいんだろう?」
早見が静かに頷くと、五十鈴川は、車窓からの琵琶湖を見て話し始めた。
「オレもそう思ったよ、早見。でもな、彼女が流した涙は本物だったよ。悔しさはあるだろうが、犯罪に手を染める様には見えなかった」
「そうですよね。捜査に私情を持ち込んではいけませんが、人を信じる事も忘れてはいけませんよね」
「ほう、随分と感心な事を言うじゃないか、早見」
「まぁね。あっ、すずさんの専売特許、取っちゃいましたね」
「はっ、言うね」
琵琶湖岸を北上して、有名な史跡を横目に旧国道を越える。その先の小さなアパートが彼女の自宅だ。
昼近くになっていたが、部屋の窓にはカーテンが閉められていた。
玄関のチャイムを鳴らして、早見が声を上げる。
「こんにちは〜、一ノ宮さん、いらっしゃいますか〜」
返事がない事は承知の上だったが、早見は一呼吸おいて、同行してもらったアパートの管理人に合図を送る。
コトン。
静かに鍵を開けた管理人は一歩下がり、五十鈴川たちが入れ替わりで少し重いドアを開ける。
少しムッとした空気に立ち止まりはしたが、早見は靴を脱ぎ、奥の部屋へ向かう。
「一ノ宮さ〜ん、おじゃましますよ……」
「やっぱり、居ないようだな」
五十鈴川が声を掛けながら、早見の肩越しに辺りを見回す。
きれいに整頓された部屋は、一ノ宮真紀の性格だろうか、それとももう、ここへは戻らないという意思の現れだろうか。
その整理された部屋の片隅に、それとは対照的に破り捨てられた1枚の紙切れを五十鈴川は見逃さなかった。
「早見、この絵、見覚えあるだろう?」
「……あっ、これってUSBメモリにあった絵地図じゃないですか。何で此処にあるんですか」
「よく考えろ。そもそもこれは一ノ宮さんに渡る筈の物だったんだ。謎の男性からだけどな」
「あっ、そうでしたね。滝沢翔子とのトラブルが無ければ、僕たちが知ることにはならなかったんでしたね」
「そうだ。幸か不幸か、この事件をややこしくしている様だが、鍵にもなっている気がするんだ」
早見が納得した表情を浮かべて五十鈴川に目をやると、彼は壁にあったカレンダーに目を向けていた。
「すずさん、何かいいこと書いてありますか?」
「父の日……」
「?……すずさん、今は10月ですよ。父の日は6月じゃないですか」
「このカレンダーに書いてあるんだよ。今日が父の日だってな」
五十鈴川が右手の人差し指で 10月21日 を叩きながら、同時に左手の人差し指を額にあてて目を閉じる。
そんな五十鈴川を無視するかの様に早見は、本棚やデスク周りに何かないかを捜していた。
「えっと、おいしいパン……開業のノウハウ……店舗を持つ10の心得……か、なるほど、パン屋さんを開業する為に、色々読んでたみたいですね、彼女」
本のタイトルを読みながら、感心しているのか、ただの興味本位なのかパラパラとページをめくる早見。
「すずさん、この部屋で何か事件に関わるものが見つかるんでしょうかねぇ……って、聞いてます、すずさん」
先ほどと変わらないポーズをとりながら、カレンダーに向かい合わせの五十鈴川だったが、何か答えを見つけたのか、両手で髪の毛を鷲掴みにしながら、口を開いた。
「早見、一ノ宮真紀の身辺調査、もう少し詳しくやってみてくれないか」
「それはいいですけど、何か思い当たることがあるんですか」
「……いや、正確には彼女の両親や実家について調べて欲しいんだ」
「……すずさん、一ノ宮重雄夫妻が気になっているんでしょう。実は僕もなんですよね」
「ああ、何か関係がある様に思うんだ、よろしく頼む」
早見にそう言うと、五十鈴川は、現場を立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっとすずさん、何処へ行くんですか」
「どら焼き買ってくる」
「え?」