刑事

蒼き湖の涙:事件18

 コーヒーを片手にどら焼きを頬張りながら、早見が説明を始めた。
「すずさん、モゴモゴ、あのですね……モゴモゴ、一ノ宮真紀の両親は……美味しい」
「早見、とりあえず食べてからでいいぞ、何が言いたいのかわからん」
そう言って、五十鈴川もどら焼きを口にしてコーヒーを飲んだ。
「コーヒーにも合うんですね、餡子。やっぱり和菓子だよな、日本人は」
誰に承認されるでもなく、一人納得している早見が何度も頷いていた。

 青木良造からもらった捜査ファイルともいうべき5冊を読み、事件のキーマンであろう大島一郎の過去を紐解いた五十鈴川は、冷静に点を線で結ぶ作業を頭の中で巡らせていた。
同時に一ノ宮真紀が流した涙を思い出し、一人の人間として、ただ単純に救える事があればと願う気持ちも込み上げていた。


「えっと、どこまで話しましたっけ」
捜査メモ、いや、メモにしては大きめの資料を見ながら、早見が切り出した。
「おいおい、まだ何も聞いてないぞ」
「あれ、そうでしたっけ。一ノ宮真紀のご両親が亡くなっていたって言いませんでしたっけ?」
五十鈴川がコーヒーを飲み干し、眉をひそめながら、カップを置いた。
「そういう事は早く言え」
「すずさんが食べてからでいいって言ったんじゃないですか」
「そう言うのを揚げ足取りって言うんだ」
「うわっ、モラハラ」

 信頼関係のある二人には、日常茶飯事だが周りの同僚達は戦々恐々である。
「わかった、わかった、スマン。じゃあ、ご両親が亡くなっているという事は、あの一ノ宮夫妻とは関係なかったって事か」
少し不機嫌そうな顔で早見はメモに目をやる。
「いえ、真紀さんとの繋がりはなさそうなんですが、被害者の河上啓一が繋がったんですよ」
「何? どういう事だ」
「ええ、僕もびっくりしたんですが、一ノ宮重雄さんの奥さん、八重子さんの旧姓が河上だったんですよ」

 早見は一ノ宮真紀の戸籍を調べ、両親が亡くなっている事を突き止めた。事実とは別に何かを掴みたい一心で二日前に一ノ宮夫妻を訪ね、直接話しを聞いてきたのだった。


「単刀直入で申し訳ありませんが、一ノ宮真紀という方をご存知ですか?」
「刑事さんに身辺調査される覚えはあらへんけどな」
一ノ宮重雄は少しいぶかし気に早見を見る。
「お父さん、そんな事言わんと答えてあげえな、減るもんやなし」
拗ねた重雄をよそに妻の八重子が答える。
「私らに子供はいますけど、真紀という名前ではないですし、親戚にも覚えがありませんねぇ」
少し落胆気味に早見が続ける。
「そうですか。コチラで川神甚五郎さんの話を聞いた時の印象が強かったもので、つい今度も何か掴めるんじゃないかと思いましてね。申し訳ない」
バツの悪そうな重雄がボソッと呟く。
「そう言うと、お前の旧姓、カワカミやったな」
「そうや、カワカミやな。甚五郎さんと漢字が違うけどな」
妻の八重子の言葉に息を呑む早見。
「八重子さん、漢字が違うって、こういうカワカミですか!」
メモを取り出し『河上』と書き始めた瞬間、一ノ宮重雄が一言。
「そうや」
庭先で腰を落ち着けて話していた早見が目の色を変えて、立ち上がる。
「これはもう、身辺調査と割り切って下さい、もしかして河上啓一さんをご存知ですか?」
一ノ宮夫妻は顔を見合わせて、同時に口をひらく。
「ああ、ご存知ですけど」

瓢箪から駒とは、こういう事を言うのだろうか。一ノ宮真紀の調査をするつもりが、まさか河上啓一の調査になろうとは考えても見なかった早見は、口を半開きにしたまま二人を見下ろして、微動だにしなかった。
それを見て妻の八重子が時計の針を進める。
「刑事さんが言う啓一さんかどうかわかりませんけど、私の弟の息子の名前が啓一です。つまり私の甥ですなぁ」
「そ、そうですか、じゃあ啓一さんとの交流はあったんですね」
「いや、実は私の弟は早くに亡くなりまして、その後すぐに啓一くんは一人暮らしする言うて、家を出ているんですわ」
「……えっと、弟さんの奥さん、つまり啓一さんの母親はどうされたんですか?」
「事故や」
黙っていた一ノ宮重雄が呟く。
「両親ともに交通事故で亡くなっているんや。その時、高校を出たばっかりの啓一の事は気になったんやが、啓一本人がどうしても一人で暮らしたい言うて家を出たんや」
「それでも3、4年は年賀状も来たし、3回程はウチにも訪ねて来てたんやけどね、その後、パッタリ音信不通になってしまいましたんや。私らが知っていた住所にもおらんようになってしもて」
少し寂しそうな表情になった二人に早見が気まずそうに問いかけた。
「あの……この写真に写っている方が私の言う、河上啓一さんなんですが、甥の河上啓一さんではないでしょうか?」
二人は写真を見て頷きながら、少し目を細め、もう一度頷いた。
「ワシらが覚えとる啓一より少し歳はとっとるけど、よう似とる。いや、本人やと思うわ」

後日の調査で、この証言が間違いではなく、二人の甥となる河上啓一は、事件の河上啓一と一致する事となる。

「私も本人やと思います。ところで、啓一くんは今どこで暮らしてるんやろ?」
早見は、やはりそういう展開になるであろう事を見通していたかの様に真顔で答えた。
「彼は先日、交通事故で亡くなりました……いや、殺されたのかもしれません」


ある意味、早見は捜査情報を漏らしたわけだが、その表情に曇りはなく、どちらかと言えば全てを話し、事件を解決に導きたいという、刑事、いや、人としての責任があるんだというプライドの様なものが現れていた。
その表情から何かを察したのであろうか、一ノ宮重雄はただ単に
「そうか……」
と言うだけだった。

事件19につづく