田舎の夜

暗闇と妖怪が生きていた時代

趣味と言ってしまえばそれまでだが、わたしは「妖怪」に興味がある。

子供のころに「妖怪大全集」という本で水木しげる氏から受けた影響が大きいと思うのだが、それ依然に田舎特有の「暗闇」が根底にあるのだろう。

ここでいう「暗闇」とは、ただ夜になって暗いという事だけではなく、昼間でも田舎の建物は薄暗いところがあった。

例をあげると「蔵」とか「小屋」というもの。電灯はあったものの、はだか電球ひとつだけだった。

この完全な闇ではなく、薄暗いところに何かの息吹きを感じたり、そこに前述の「妖怪大全集」が加わり、想像が3倍にも4倍にも膨れ上がったりした。そして、この時から霊感が宿り、妖怪が見えるようになった・・・と、いうことは一切ない。

コワイものは今でもコワイが、大人になるにつれ、面白いという感情も同居するようになった。この辺りから「妖怪」が実在するとかしないとかではなくて、人間が生み出すものではないかと思うようになった。最近、妖怪に関する展覧会に行ったのだが、ここで「百鬼夜行絵巻」をはじめ、歴史の中に遊びや教訓とともに描かれた妖怪が多数あることに驚かされた。その時代、時代の風刺が妖怪に現れているものが多かった。

現代は、どこでも明るく、妖怪なんて過去やアニメの存在だが、きっとどこにでもいると思う。明るさが強いほど、暗さも比例して強くなる表裏一体のものだ。暗闇が消えることはない。

昨今の殺伐としたニュースを聞くと何ともいえない気分になるが、こんな時こそ妖怪という得体の知れないものに心をあずけてしまって、ガス抜きをすれば上手くいくんじゃないかと思う。「これは妖怪の仕業かな」てな具合で。妖怪には申し訳ないけれど。