二面石

明日香は飛鳥でナスカでマジっすか

奈良の万葉ロマン

陽気に誘われて 愛機一眼レフカメラ Nikon D750 を片手に奈良県明日香村をぶら歩き。

何か惹きつけるものがあって、何度も訪れている場所。聖徳太子だの蘇我入鹿だの藤原かたまり……鎌足など、いねむりをしていなければ小学校で多分、耳にした事のある人物たちが暴れまわっていた、元祖日本の首都。

ここには、石舞台古墳をはじめ、数多くの石造物が現存する。そしてこれらは「古墳」「棺」「神事用石造」「道標」「庭園用装飾」と、まあ色々な解釈がなされているわけだ。当然、考古学的にハッキリしているものもあると思うが、謎に満ちたものもまた多いのだ。

こういうものに興味津々のわたしは、いらんことを想像してしまう。

空想は自由

まず、これは学術的、科学的には何の根拠もなく、特に調査もしていない素人の考えという前置きで、楽しく読んで欲しい。

そもそもこの石造物は誰が何のために造ったのか。

宇宙人!

は、おもしろいけど、ぶっとんでいるので却下。

日本史のおさらい。ながーい縄文時代があって、いきなり弥生時代で、古墳時代、飛鳥時代。この辺から文化とヒエラルキーができる。

縄文時代は槍と弓矢を持って鹿を追いかけていたイメージだが、この史実にない(教科書に載らないだけかも)時代こそが、わたしの考える「真日本史」これは後日、学会で発表する事になってい……ないので、あしからず。

この謎の石造はこの時代に先住民によって造られ、その文化と共にのちの渡来人により、抹消されたのではと考える。

そう、歴史は勝者が創るのだ。

敗者は、その遺物だけを残して歴史の表舞台から消えた……いや、消された。

消えた技術

花崗岩に刻まれたもの。それは私たちには解らない消えた技術の痕跡かもしれない。

「酒船石」 ここには、丸型と溝のようなものが刻まれている。例えばこれが、鋳型ならば金属の加工が行われていたということになり、教科書はたちまち改訂版の嵐だ。

また「二面石」や「猿石」は、唇の厚い、南方系の人々にも見える。この時代に既に外交があり、もっと開けた貿易があったとしたら、教科書は改訂版どころではない。

そもそもこの巨石を運んだり、削ったりする技術も結構、最先端だ。

まあ、以外と想像以上に人力でいけるらしいけど(お城の石垣なんかは結構でかいのに、現在の様な重機は使われていません)

年月とともに劣化し、朽ちてしまう材料が使われていたならば、楚となる「石」だけが残った可能性だってある。

では、何がそこにあったのか。

目的は何

それがモニュメント的、威厳や権威の象徴ならば、前途で書いた様に後発の人々の手により、破壊、抹消されたのかもしれない。

いまでも前政権の銅像を破壊したりしますよね、これは今も昔も変わらないことだと思う。

ましてそれが、得体の知れない、自分たちで制御できない技術の入った構造物ならば、なおさらだ。

「亀石」なんかは、見えている部分は一部で地中に真の姿があり、逆さまに埋まっていたりするかもしれない。

得体の知れない技術……宇宙人。

おっと、だんだん熱くなってきました。これはもう、一冊の本が書けそうだ。

「石造物 ブツブツ」とかいうのはダメですか?

さらに加速させてみよう。明日香、飛鳥は「アスカ」と読みますが、似た地名に「ナスカ」があります。地上絵で有名なところです。

飛ぶ鳥……地上絵にありますよね。えっ、知らない?

この地域の人々が太平洋を渡り、日本に辿り着き、「ナスカ」から来たものが「アスカ」となり、石にその記憶を刻んだ。そして、繁栄した頃に新興勢力により終わりを告げる。

宇宙人は置いといて

「文化の交代が起き、前政権のものが遺物として残った」

と、いうのが持論であり、わたしの結論。

ビール片手にCS放送の「古代の……」とかを思い出しながら、書いてみました。

……宇宙人。